今回の旅で撮った写真を見返すと、朝日と夕陽ばかりだった。意図して集めたわけではなく、気づいたらそうなっていた。
朝起きて、カーテンを開ける。空模様を確認し、カメラを持って外に出る。夕方、空の色が変わりはじめると、また外に出る。それを十日間くり返していた。
寝て、起きる。僕たちはそれを当たり前のことだと思っている。目を閉じて、次に目を開ければ、昨日の続きが始まっている。
でも夜のあいだ、僕たちは自分を手放している。何時間も意識のない状態で過ごして、それでも同じ身体、同じ意識で戻ってくる。人生の続きを、またそこから始められる。
これは当たり前ではない。
だから朝日を見ると、自然に感謝が出てくる。旅先でも、気づけば手を合わせていた。

日の出に向かって手を合わせる。日本各地に残っている習慣で、伊勢では今も続いている。朝日を拝む場所が決まっていて、そこに人が集まる。
身体の側にも、朝の光を受け取る仕組みがある。人の身体は二十四時間より少し長い周期で動いていて、そのままにしておくと毎日ずれていく*1。朝の光が目に入ると、そのずれが合う*2。光そのものが時計の針を動かしている。
手を合わせる人たちが、そのことを知っていたわけではない。それでも、朝日に向かうという同じ行為が残った。
ワイキキの夕方は、ずっと見ていられる。
歩いていると、海のほうを向いて座っている人たちがいる。夫婦だったり、恋人同士だったり。並んで、海に沈みゆく夕陽を眺めている。
ふたりは何も語らず、肩を寄せ合ってただ同じ方向を見ている。時間がただゆったりと流れる。
その人たちを撮らせてもらった。この写真を見た人が、同じ温かさを受け取ってくれたらいいと思って撮っている。


朝日は一日の始まりで、夕陽は終わり。どちらも境目だ。
前に、深呼吸は一日の中にある切れ目に差し込むといい、と書いた。朝起きた時、食事の前、仕事と仕事の間、寝る前。何かと何かが切り替わる合図として行うのだ。
旅のテーマも、結局そこだった。意図していなかったのに、同じところに立っていた。
境目は、意識しなければ通り過ぎる。夜から朝へ、昼から夜へ、毎日二度ずつやってくるのに、たいていは見ないまま過ぎていく。
明日の朝、いつもより少し早くカーテンを開けてみる。それだけでいい。

*1 出典:Czeisler CA ほか「Stability, precision, and near-24-hour period of the human circadian pacemaker」『Science』284巻5423号 2177–2181頁(1999年)。人の概日リズムの周期は平均24.18時間(約24時間11分)と報告されている。
*2 出典:Czeisler CA ほか「Bright light resets the human circadian pacemaker independent of the timing of the sleep-wake cycle」『Science』233巻4764号 667–671頁(1986年)

